離婚BLOG

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2017.02.09更新

平成25年3月28日に最高裁判所で、面会交流を認めた審判について間接強制が出来る場合と出来ない場合の基準を示した判決(3事件)が出されました。

面会交流について、直接強制が出来ないことは、従来からの取扱であり(事実上不可能)、審判の強制力は間接強制によるとの取り扱いが為されてきました。

そもそも、面会交流は子の福祉の為に必要と考えられていますが、仲の悪い(悪かった)両親が関与せざるを得ませんから、なるべく強制に依らず説得し理解を得て実行に及ぶというのが、常識的な裁判官の姿勢でした。

また、面会交流が子の福祉に添わないと判断される場合には、これを認めないのも先例の取り扱いでした。例えば、虐待の履歴がある場合、児童ポルノの性癖がある場合、両親の間が悪すぎて協議打合せ等が不可能な場合、等です。

最高裁判所は、面会交流の審判で、監護親がすべき給付の特定がなされているか否かで、間接強制決定をすることが出来るとし、月における日程、曜日、時間、場所、引き渡し場所等が定められていれば特定されているとして、

これを認め、他は定められているが引渡方法について何ら定めていない場合等にはこれが出来ない旨を示しました。

調停等においては、詳細な取り決めは、かえって面会交流の実効性を欠く等の事情で、抽象的な定めをすることが多いのですが、審判においては、強制を認めるのが妥当か否かの判断の上、主文が書かれることが求められるということになります。

 

 

投稿者: 武末法律事務所

2017.02.08更新

平成29年1月26日に東京高等裁判所で、母親が長女と年100回子供と面会できるようにすると提案した父親の訴えを避け、母親を親権者とする、原審を覆す判決が出されました。

この判決自体には、何ら問題がないのですが、原審である千葉家裁松戸支部が、父親の提案を重視して、父親を親権者とし、母親から長女を引き渡すことを求めたことが、異例であったことです。

事案の詳細は、まだ見れていませんが、高裁の判断は、妥当であるり、ホッとするとともに、原審の判断は理解しがたいとしか言いようがありません。

離婚において、一番の被害者は子共であり、その福祉を第一に考えるべき、というのが従来からの最高裁判所の指導であり、法の理にかなっています。

そこにおいては、母親基本、同居基本、環境基本、子の意思基本等の判断基準が示されてきましたが、大事なことは各個の形式ではなく、全体的実質的な子の福祉です。

母親が父親と別居するに際して子を伴うことは、普通の事であり、普段から世話を受けていた子にとって福祉にかなうことであり、原則として(虐待親等は別論)連れ去りという表現は妥当しません。

母子の関係、同居の継続等の実態的な内容に即した子の福祉を重視すべきであり、これを無視して、年100回の面会交流の提案を重視し、親権を定める等、理解できるものではありません。

高裁は、面会交流の回数について、「月1回程度の提案は不十分なものではない」との判断も示していますが、広く従来から基準とされているものを再確認したものと理解されるものです。

面会交流は、同居しない親の愛情を確認する機会として求められ、月1回であれば、これが満たされるという価値基準があり、特に子供は成長するにつけ、自分の部活や習い事特に友達との交際を大事にするに至るものであるから、

年100回の面会交流などは、子に時間的、体力的な負担を負わすことになり、決して子の福祉にはならない(親の立場である)という実態を理解出来ていれば、松戸支部のような異例と呼ばれる判決は無かったのではと思慮しています。

投稿者: 武末法律事務所

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